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「私のことを笑った」で、暴行って。


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近頃、物騒な話が相次いでいると思う。


中学生2人殴る 容疑の男「私のことを笑った」 /千葉
ちばとぴ by 千葉日報 2月15日(日)11時11分配信

 千葉県警成田署は13日、暴行の疑いで成田市の無職の男(31)を逮捕した。

 逮捕容疑は13日午前11時40分ごろ、同市並木町の国道409号の歩道で、いずれも同市の市立中学校3年で15歳の男子生徒2人を殴った疑い。

 同署によると、男子生徒らは6人で自転車に乗って信号待ちをしていたところ、男が自転車に乗って突進。転倒した2人に殴りかかり、顔面に1発ずつ当たったという。2人にけがはなかった。

 目撃した男性が110番通報した。男は「私のことを笑ったので殴った」などと供述している。


こんなニュースが最近多い。
「私のことを笑った」
「私のことを馬鹿にした」
「こちらをにやにや見ていた」
こんなことに腹を立てて、さらに暴行に及ぶ、こんなことが最近目立っている。

腹を立てる意味が分からない。どれだけ、追い詰められているのか。どれだけ、余裕がないのか。
本当にその人のことを馬鹿にしていたのか。
百歩譲って、腹を立てるのはいい。
たしかに見知らぬ人、少年に馬鹿にされたとき、気分が悪いのはよくわかる。
だからと言って、暴行に及ぶ、その精神構造はもはや動物以下である。

よく、自身の感情が高ぶったことに対し自身の責任を全く感じてない人間がいる。
「おれ、怒ったら何するかわからないんだよね。」
「あれだけのこと言われたら、殴ってもしょうがないよね。」

まったくもってありえない話である。
また、暴力を以って実力行使した時点で、完全な敗北であることをも理解していない、残念な人間である。

その時は、その場は終わるかもしれないけれど、2度とその人の前で本音を話す人はいなくなる。完全な孤独の完成である。何も知らずまま、だれからも信用されず死んでゆくのである。

「あそこで手が出るのは、もうしょうがないよ」と言う限度は、人間において絶対に存在しない。
感情をコントロールできない人間のお粗末な言い訳である。

なんとか校正してほしい。
さもなくば、完全に社会から隔離してほしい、と切に願う。
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